2020年7月1日 西宮山岳会
西宮山岳会は創立50周年にあたり、「尼崎21世紀の森」への記念植樹をはじめ、多くの記念事業を実施しました。
1963年夏、仙人池ヒュッテに集まった若者たちは「勤労者の立場に立って大衆的な山岳会」を発足致しました。以来、幾多の困難を乗り越え、多くの岳人と共に歩んでまいりました。
西宮山岳会として50年を迎えるにあたり、揺籃の地である仙人池ヒュッテに集い、わかもの山岳会の熱き思いを未来につなぐことを誓います。
2013年9月7日 西宮山岳会
1963年9月7日に「西宮わかもの山岳会」として設立され、翌年6月に「西宮勤労者山岳会」と改名されました。
原水氏が書店の片隅で「勤労者の登山教室」という文庫版サイズの小冊子を見つけられ、著者は北アルプスで数所に山小屋を経営する伊藤正一氏です。この本には「勤労者山岳会」の呼びかけとその考え方が明快に書かれてあり、衝撃的でした。何度も何度も読み、ついに伊藤氏に手紙を出しました。伊藤氏からはすぐに返事が来て、勤労者山岳会結成のすすめと援助を惜しまない旨が書かれていました。
全逓西宮山岳会の設立メンバーの原水章行が中心に1963年の夏、剣岳へ行ったメンバーの中で「勤労者の立場に立った大衆的な山岳会」を作ろうと相談がまとまったのは、仙人池の山小屋の夜でした。
1963年9月7日、兵庫で初めての労山「西宮わかもの山岳会」が40名ほどの若者たちのムンムンする気の中で発足しました。≪「労山と私」原水章行(現.西宮明昭山の会会長)著より≫
1964年8月、上高地で開かれた第一回全国勤労者登山祭典に4名の代表を送りました。登山祭典で誓い合った、働くものの登山運動の普及と拡大に、西宮労山は県下で唯一の労山たる自覚を持って“県下に100名の労山を”という方針を打ち出して労山の拡大に積極的に取り組みました。
まず、1966年2月に「尼崎勤労者山岳会」「宝塚勤労者山岳会」、3月「神戸勤労者山岳会」の設立に大きな影響を与え、4月にはこれらの労山とともに「兵庫県勤労者山岳連盟」を設立する中心となって活動しました。
「西宮勤労者山岳会」は、2008年6月29日、「西宮山岳会」に改称いたしました。
当会は1963年「わかもの山岳会」として発足し、その後、「西宮勤労者山岳会」と改称、2013年9月7日に創立50周年を迎えた、兵庫県下随一の歴史を誇る山岳会です。
今日まで総合山岳会として、最も身近な里山である六甲の清掃登山から、ヒマラヤに至る幅広い活動を展開しつつ、先駆者として多くの山岳会の擁立にも寄与してまいりました。また、登山技術の普及・向上を目指し、岩登り・沢登り・夏山・冬山の各種のセミナーを開催するとともに、自然に親しむ方々を対象に、市民ハイク・ハイキング講座・登山バス等を実施し、個々の価値観を尊重し、自立した登山者として歩くことを何より大切に日々活動しています。
山を愛する方であればジャンルは問いません。ぜひ一度ご連絡ください。